Posts

Don't let yourself be hidden by the cause.

Image
  ベランダのミントの繁みに真っ赤なものがあって明らかに人工的で 何かと思ったらキットカットでした。 テカテカの包みを小鳥が運んで隠してるんだな〜と思って放っておいて数日、   流石に片付けようかしらと思ってみたらなんとキットカットふたつつみ、チョコがしっかり中に入っていて怖くなって .. そのままにしています。 曲が 8  曲くらい出来上がってきたので、もう少し .. あと小さいさんを毎日ひとつ作ろうと思いたって 今日で 22 🐻‍❄️ です。 Hello! I saw something bright red on my balcony among the mint bushes and thought it was obviously artificial, but it turned out to be Kit Kat. I thought it was a little bird carrying the shiny package and hiding it, so I left it alone for a few days, and when I thought it was time to clean it up, I found 2 packs of Kit Kat are intact, seemingly milk chocolate are inside , and I got scared... I left it as it was. I've finished about 8 songs, so I have a few more to go... I decided to make Chisai San every day... 🐻‍❄️ I hope you are well. Please be safe

⛴💨

Image
  皆さまこんにちは。 展示やライブが出来るかまだわからないのですが、 元気です。曲も作っています。 いつもありがとうございます🧚🏻‍♂️🧚🏻‍♂️🧚🏻‍♂️ 🫶♡♡ Hi! I m still not sure when I could appear  around you But I am okay. Maybe somehow fitting in this universe because I am alive. See you soon! Sakiyo 🫶♡♡♡

🐚🌪

Image
photo Masahiro Tobita My father designed an emerald ring for my mother.. 父が母にデザインしたエメラルドのリング..。 みなさまこんにちは。 この間、誰かが集めた貝殻がベンチ ( 正確にはただの岩 ) にそのまま置かれていて貰ってきました。 母の日は母にどんな花を贈るかしか毎年考えていなかったので ..  もしかして本当に自分が母親でお花を貰ったら嬉し過ぎてなんだか耐えられる気がしないと思うのでした。

🐇🫧

Image

🤍🤍 🤍🤍 🤍🤍 🤍🤍 🤍🤍 🤍🤍

Image
母から父へのラブレターを離れにある鍵のついていない棚に仕舞われているのを姉が見つけたと言っていたので、気になりつつ見る暇もなく母と過ごして 1 週間が過ぎた頃、今まで以上に酸素の値が安定し づらくなり本当に泣き出しそう な気持ちでいました。 パルスオキシメーターを指につけて酸素飽和度を確認しなければいけないのですが、深く眠りに入るとどうしても訪問看護の方からの指示通りではガクッと数値が下がり、酸欠状態になってしまうので、母が眠っていても気が抜けない感じになってしまいました。 そんな夜カニューレのロゴがどう見ても遠く霞んで votlow.. え?酸素だから Aqua とかそう言う文字なんじゃないのかなと、さらに真夜中にぼーっと見つめるとこれは逆に装着されているんでは、 その 3 日前にチューブからその酸素を取り込む部分の付け替えをお願いした時に間違えてしまわれたんではと不安になりました。 次の日、そのことを伝えるより先に看護師さんが「これ、付け替えて良いですか。」と言って帰った後、ロゴが ATOM とハッキリ読めるようになっていて、そう言えば髪の毛の上から医療用テープを必ずペターってはるし、母がボディーソープで髪を洗ってしまったって母自身が悪いみたいに話していたけれど、あれもおかしくない?と、急に最高に嫌な気持ちに。⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎!!!っと本当に悲しい気持ちになったのです。 それでもそう言った事は直接母の寿命を縮めたわけでもなく、ただ嫌なだけの出来事なので、相手は悪びれずに「酸素の供給量には関係ない」となにか言いながら視線の隅で手を振っていたけれど、すでに母は安静時に 3L の酸素が必要になっていて、わたしはその人物を信頼できなくなっていました。 My sister told me that she had found a love letter from my mother to my father in an unlocked cabinet in a remote, and after a week of spending time with my mother without time to look at it, though I was concerned, I really felt like crying because my oxygen leve

📝🙏❤️

Image
母が本棚の奥に仕舞い込んでいたわたしの小学 1 年生の時の絵日記。 わたし 9 歳まで全く記憶がないのですが、ちゃんと生きていたみたいです。  My mother had put it away in the back of a bookshelf. My picture diary from the first grade of elementary school. I don't remember anything until I was 9 years old, but it seems I was alive.

🤍🤍🤍🤍🤍🤍🤍🤍🤍🤍

Image
3 月 27 日わたしの母が亡くなりました。 3 年間、間質性肺炎という難病を罹っていていました。 本当にわたしは母に強い影響を受けて育ったと思うのです。 ただこの数年間はそんな自分を疑って、どこか自分を信じられていないような感覚になっていたので、母に寄り添って過ごすことができていなかった悲しい期間がありました。 だけど、先月のブログでも書かせて頂いたように、もうこれが最後の機会になるのではと言う時でも、母は明るく自分のベットの足元をポンポンとたたき、「あなたここに寝ていなさいよ」と本気で言っていて皆で笑っていたことや、母と話すと悩みも悩みでなくなるような感覚を思い返すと、出会えて本当に良かったと思える大事な人で、なによりも独特な愛情を常に与えてくれていたと思います。 入院してしまうと最期まで会えない状況の中、終末医療施設は嫌だし、父と姉と相談してなんとか家で母と過ごせるよう、訪問看護で医師もお家に来てくれるという形で最後を過ごす事になっていたのですが、それがわたしにとってはとっても難しい経験でした。 3 月 13 日、 姉が発熱し、父一人だとの連絡があり、お家へ戻る事に。そこからの 11 日間、母と過ごした時間は、赤ちゃんが 1 日 1 日成長し姿を変えるのとはまた違う時間の速さで、 1 日があっという間のようで夜中も目が離せないので、 1 日の長さが 3 倍くらいに感じていました。 廊下を歩くのもままならず、カニューレという鼻から酸素を吸入する器具とチューブと格闘して酸素の数値が下がらないか、廊下を歩ける距離が日に日に縮まり、食卓までも歩きたくなくなって、ベットから脚を下ろすのも嫌になってと短い期間で徐々に、できていたことが難しくなっていて、本当に辛いんだろうなって。 テレビでは最悪な戦争のニュースが流れていて、夜中に地震の速報も。母は息を吸えなくなって行く。わたしは葡萄を本当にちいちゃく切ったり、調律していないビヨンビヨンのピアノでも弾いてみてって言うので金平糖の踊りを弾いたりして辛さを和らげることがないか探していました。何倍にもなったようなピアノの音は本当に聴いたことのない音がしていました。 My mother passed away on March 27.  She had been suffering from an incurable disease